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March 06, 2005

嗤う日本の「ナショナリズム」

嗤う日本の「ナショナリズム」
北田 暁大
日本放送出版協会 2005-02


by G-Tools

現代若者文化では、「アイロニー(嗤い)と感動志向の共存」(『電車男』)、「世界史構成と実存主義の共存」(窪塚的なもの)という2つのアンチノミーが台頭している。この本は、60年代の「暴走する反省システム」(連合赤軍の「総括」)から書き起こし、70年代の「抵抗としての反省」(消費社会的アイロニズム)、80年代の「無反省(という反省)」(消費社会的シニズム)、そして現在の「無反省への反省としてのロマン主義」(ロマン主義的シニズム)の台頭までの流れを追いながら、アンチノミーの成立を明らかにした労作だ。

「2ちゃんねる」(と、ひとくくりに言ってしまうのにも問題あるが)に集う若者は、よく知識人から「右傾化している」と言われる事がある。僕は、以前からそうした指摘に違和感を持っていた。どちらかというと、彼らはすごく形式主義的に「朝日」や「市民派」をネタにして「嗤う」ことにより、互いのコミュニケーションを保持しているように感じていたからだ。したがって、既に失効した「右派」「左派」というイデオロギーの物差しで測ること自体、時代錯誤であり、本質を見失っていると言える。
そうした意味で、僕は著者の意見には同意できる部分が多いように思った。

本書のテーマは非常に刺激的で面白いのだけれど、全体に渡り微細に掘り下げ過ぎていて、話の流れが掴みにくい。社会学の専門書ならともかく、一般書として出版するのであれば、もう少し論旨を明快にすべきだったのではなかろうか。

投稿者 blog@tsukuba : March 6, 2005 02:47 PM

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