tetraの外部記憶箱

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2009-11-07

_ [education][books] 早期教育業界は、結構、魔界だな・・・

長女が生まれた直後から、続々と教材パンフレットが届くようになった。

そこで、どんなものなのかざっと目を通してみたところ、アヤシゲな記述のオンパレードで思わずのけぞってしまった(笑)

テクニック的には、ニセ健康商品や霊感商法で使われるものとまったく同じ。

(1)真実に嘘を混ぜ込み、いかにも根拠がありそうに見せる。

 早期教育業界でよく用いられる話題としては、臨界期仮説や行動心理学的な記述(狼少女マカラの話)、最近では脳科学の話(シナプス形成)などがあげられる。

 後述するが、今では明確に否定されている仮説などがひっぱり出されることもあるので注意を要する。

(2)肩書きによる権威付け。

 ○○博士監修とか、○○研究所所長とか、肩書きで権威付けることによって、読者を信じ込ませる。

(3)今すぐにと、焦らせる。

 能力を身に付けるには「締切り」があって、その時期までにやらないと、手遅れになると言って、親を焦らせる。

(4)体験談が盛り沢山。

 曰く、この教材のおかげで「IQが160になりました!」とか「1歳でペラペラ言葉が出るように!」などなど。

 そして、これを読む親に「もしかしたら、ウチの子も・・・」と夢を見させる。

 

これって、詐欺商法で使われるテクニックそのまんまなんですけどね(^^;

 

さて、まず(1)で出てくる「臨界期」という考え方について。

赤ちゃんは生まれたばかりは真っ白の状態であり、やがて様々な刺激を受けることによって脳の「配線」ができ、知能や性格が決まる。また、その刺激を受ける時期には期限があって、それを過ぎるともはや身につけることが不可能か、非常に困難になるという主張だ。これは、ソニーの創始者である井深大氏の著書『幼稚園では遅すぎる』によってポピュラーになったもので、早期教育業界では、必ずと言っていいほど出てくるキーワードである。

 

この主張の根拠となってるのが、ハッテンロッカーのシナプス密度の変化についての研究だ。

神経細胞からは「軸索」と呼ばれる細長い突起が伸びており、その先端は「シナプス」と呼ばれる部位で隣の神経細胞と信号のやり取りをしている。いわば、回路の「電気配線」のようなものと言える。彼は様々な年齢の人の脳を電子顕微鏡で調べ、そのシナプスの密度を調べた。すると、シナプス密度は出生直後から急激に増え、約八ヶ月でピークに達し、その後、徐々に減ってゆく(刈り取られてゆく)ことがわかった。

早期教育論者は、このシナプスの数が過形成されている時にこそ、様々な刺激を与えて、神経細胞のネットワークを維持すべき、と主張する。

ところがである。「シナプスの密度」と「知能」との関係は、何ら科学的に証明されているわけではない。実際のところ、様々な学習はシナプスが刈り取られてゆく時期と平行して行われているわけであり、むしろ、乳児期における過度な刺激は、脳のオーバーロードを引き起こし、正常な発達に悪影響を及ぼすのではないかと懸念している研究者もいるくらいだ。

 

また、いくら「体験談」が豊富に紹介されているからといって、その教材の効果を証明していることにはならない。と言うのも、「体験談」は、あくまでも「個別の特殊なケース」でしかないからだ。

 

製薬企業にお勤めの方ならご存知だろうが、例えば新薬の治験(臨床開発)では、非常に厳密な条件下で試験を実施して統計処理を行い、その治療効果の検証が行われている。有名なのが「二重盲検法」とよばれる検査方法だ。これは、本物の薬と偽薬(プラセボ)とを用意し、被験者をランダムに二群に分けて、それぞれ投与する。薬が本物かどうかは、実験者(医師)にも伏せられた条件で行われる。なぜこのような面倒なことをするのかというと、思い込みによる心理的な効果(プラセボ効果)や、観察者によるバイアスを排除するためだ。

さらに、得られたデータを統計的に解析し、きちんと有意差が出て、初めて新薬として当局に申請が行われるのだが、動物実験では効果があったのに、なかなか人間では有意差が得られず、治験までこぎつけてもドロップアウトしてしまうケースは非常に多い。

早期教育に関しても、効果があると主張するのであれば、できるだけ環境の条件をそろえた家庭を用意し、実験群と対照群とにランダムに分けて比較を行い、統計的な有意差を証明すべきであろう。いくら体験談を集めたところで、何ら効果の証明にはならない。

 

その他、早期教育論者の持ち出す実験の多くが、科学的根拠が曖昧か、もしくは、誤解や曲解をして引用しているケースが多々見られるので、注意を要する。 

 

こうした疑似科学的な論議がまかり通ってしまうのは、一つには「脳」というものが、まだ謎だらけであるという事があげられるだろう。(「右脳」とか「左脳」とか「ゲーム脳」とか「脳トレ」などなど、近年、「擬似」脳科学ブームで、TVや雑誌にも自称脳科学者がやたらと文化人気取りで顔を出しているが、あれもどーなんだろーねぇ・・・)

また、初等教育ならば文科省などの監督下にあるが、こうした早期教育業界は、監督する省庁が皆無なのも問題である。(せいぜい、消費者庁くらい?)

 

その他、早期教育で持ち出される様々な主張の真偽については、榊原洋一著 『子どもの脳の発達臨界期・敏感期早期教育で知能は大きく伸びるのか?』(講談社)という、良くまとまった本があるので、詳しくはそちらを参照あれ。

_ [photo][K-7][FA43mm F1.9 Limited] 子を持って初めて知る親の恩

自分の娘の世話をしていて、ウチの親も大変だったろうなぁ〜、とつくづく実感している。

今まで、親の恩を頭ではわかっているつもりであったが、やはり「百聞は一見に如かず」の通り、自分で体験してみないことには、想像がつかない。

・・・・

僕が長男として生まれたのは、両親が結婚してまだ1年目の真冬の事である。

その頃の家庭状況はといえば、父親は小さな会社の会社員として安月給で働きながら家族を養い、母親は結婚を機に小学校教師を退職し、家庭に入っていた。

そんなある日のこと、突如、父は母に何の相談も無く会社を辞めてきて、兄のプラスチック工場を手伝うことを告げたらしい。

豊かな蓄えがあるわけでもなく、若き日の母は、幼子を抱えて不安な日々をすごしたに違いない。

その後、それまで住んでいた家を売り払い、一家は町の公民館の小さな管理人室へ移り住む。

それまで住んでいた家と比べると部屋の数は少なくてずっと狭かったが、管理人としての副収入が得られるというメリットがあったからだ。

その頃の父はというと、土日も無く、寝る間も惜しんで忙しい日々を送っていたらしい。

近所の人から、子どもが「パパの顔を忘れちゃうんじゃない?」と言われたと、今でも母は事あるごとに語る。

僕が2歳4ヶ月の時に弟が誕生。

母は、広い公民館の管理人としての仕事をしつつ、僕たち兄弟を育ててくれた。

広い部屋の掃除をしている母の周りで、弟と一緒に遊んでいた記憶が、今でも残っている。

今でも、何かの用事でその近くを通ると、母は懐かしがるよりも、「二度と見たくない」と言う。当時の僕たちにはわからなかったが、相当に苦労をしたようである。

こうして苦労を重ねて資金を貯めて独立、父は自分の工場を持つことになる。

・・・・

そんな父母の苦労を思えば、今の僕の苦労なんて、それこそ「屁」みたいなものだなぁー。

しかしながら、我が子の笑顔を見れば、たとえ火の中、水の中、どんな苦労も厭わないと思ってしまうから不思議だ。